阪神大震災から10年

10年前のあの日あの朝、大阪府豊中市のアパートで寝てました。
その日の4時ぐらいに体が浮き上がる感覚があって、一度目が覚めました。
なんだか変な感覚で怖いなぁと感じたため、明かりを付けたのですが、
そのまま寝入ってしまいました。


そして、運命の瞬間の5時50分ちょい前ぐらいでしょうか、
ものすごい振動を感じて目が覚めました。
何が起こったのかとっさにはわからなかったのですが、
目を開けると蛍光灯がすごい勢いで左右に振れていたので、
きっと地震なんだなぁとは思いましたが、
あまりにすごい揺れだったので、
電気が付いた蛍光灯を見ている以外は何も出来ませんでした。
揺れは30秒ぐらいは続いたでしょうか、
もっと長かったかもしれませんが、あまりのことに放心してました。
揺れがおさまっても、しばらくは布団の中で放心してたと思います。


その後したことは、とりあえずテレビを付けることでした。
なんか順番を間違ってる気がしたので、
その後、すぐに玄関ドアが開くかどうかを確認しました。
部屋はラックが倒れたりしてましたが、
幸いにも倒れやすいものはそれほどなかったので、
部屋はそれほど散らかっていませんでした。
玄関ドアが開くのを確認して、外に出ました。
周りの部屋の人が出てきてたので、
すごい地震だったねぇとかってお話をしましたが、
あまり現実感はなかった気がします。
その後、TVをくいるように見てましたが、
最初は、大阪のスタジオですごい地震でしたという
ことぐらいしか放送してなかったと思います。


最初の地震から幾たびか余震もあったので、
部屋の片付けは後回しにしました。
地震後1時間ぐらいして、とりあえず実家に電話をしました。
その頃には震源が淡路島のちょい北ぐらいだということは
わかっていたので、愛知の実家にとりあえず無事を伝えました。


部屋の方は、ラックが倒れたり、
冷蔵庫が50cmぐらい前進していたりしてましたが、
たいした被害はありませんでした。
なので、テレビをずっと見てましたが、
徐々に明らかになる地震被害に戦々恐々でした。
自分は運がよかっただけぐらいの気持ちで被害を見てました。


私の住まいは古いですが結構頑丈なつくりの鉄筋のアパートだったため、
被害はなかったのですが、周りの建物の中には、
壁が崩れたり、屋根が完全に落ちているものがありました。
神戸近辺の被害に比べればたいしたことはなかったのですが...


10年経ってあの日を回顧してみましたが、
結構、鮮明に記憶してました。
地震がはいつ起きても不思議じゃないという考えは、
震災前にも持っていて、
寝るときには、絶対に家具のような倒れやすいもの前では
寝ないなどの心がけはしてました。
今でもその辺の心がけは忘れていません。
でもやはり震災以後はより一層地震に対する備えを
考えるようになったのは言うまでもありません。